人間はインターネットに殺される

小動物が好きです。ホントです。

俺はメタフィクションゲームがやりたい

ネタバレとメタフィクションの話をします。

(この記事の「ゲーム」という表現は指定のない限り、ある程度ストーリーや展開、隠し要素のあるものを指しています)

 

騙される快感というか、サプライズされる快感というのは誰しもが持っているはずだ。昔からゲームをやってきた自分は、特にゲーム内でのそれに特に快感を抱いていた。

 

Dokidoki literature club(ドキドキ文芸部)というPCゲームを知っているだろうか。知らない人はこの時点で回れ右でゲーム(無料)をDLし、プレイしてほしい。日本語化MODもあるので調べて導入してほしい。https://ddlc.moe/

 

以下はそのネタバレを含むので注意して読み進めて欲しい。

 

 

 

 

 

 

さてここからはプレイ済み、あるいは知っている、あるいは知らないけどここまで読み進めた人のためにもこのゲームのある程度の解説をしていく。

 

ドキドキ文芸部(以下DDLC)は公式サイトを見る通り、いわゆる普通のギャルゲーとして紹介されている。最初絵柄などを確認したときは「ねこぱら」などと同じ海外で大人気のギャルゲーなのかなと単純に自分は感じた。ゲームを起動すると「鬱病の方、精神薄弱の方はゲームをご遠慮下さい」という旨の注意書きが表示される。最初にDDLCを知った時に何か不穏であることをある程度感じていたが、自分にとってこの注意書きは、いわゆるそれ自体がネタになっているのだろうと感じた。

 

色々な説明を省くと、幼馴染が鬱病を抱えており、どんな選択をしようと“1週目”の最後で必ず死ぬ。それも首吊り自殺で。その時点から「例外が発生しました」と表示され、文字化けや画面の崩れ歪み、立ち絵の崩壊、BGMの変化が始まり、おしとやかな文学少女は好きと言っても嫌いと言っても高まって自分自身を刺し殺しオタクガールはゲロ吐いて部長に消される

 

そこからは文芸部部長と二人きりの時間を過ごすか、部長の存在ごと消して新しい文芸部を始めるかの二択を初めて選ぶことができる。考察ではないのであまり深いところまで書くのは避けるが、今までのイベントは全てただゲーム画面クリックしているだけで起きているイベントであったが、この二択は主人公に対してでなく、プレイヤーに委ねられている。既プレイの方なら分かるが、ここで自分のPC(つまりゲーム外)のキャラクターファイルを消すか消さないかでその後のゲーム内容が変わるのだ。事実これ以外に、キャラクターファイルなど、ファイルをいじってゲームを進行させるイベントなどはない(txtファイルが追加されることや、画面が少し変わることはある)が、それ自体も含めてのゲームであると自分は感じた。さらに秀逸なのは、このゲーム真ENDを見ると「作者本人からのメッセージ」が見れるのだ。結局それは、「これはただのゲームですよ」ということを意味しており、つまりはメタをさらにメタで返しているのだ。このゲームに「トゥルーマン・ショー」に近しい何かを自分は感じていた。

 

余談ではあるが、DDLCは発表してから約半年後に「このゲームをプレイして精神崩壊し、英国在住の学生が自殺した」という“デマ”が流された。この学生がDDLCをプレイしていたことは分かったが、実際の因果関係は明らかにされていなかったのだ。ネットと報道の恐ろしさである。ゲームの作者dan salvato氏は州立大学のIT専攻、ソースを出すのは面倒くさいがとにかくかつてディベート部だったらしく、ゲームをプレイすれば分かるが、様々な事柄に関心を持っており、特に精神的事象についてはかなり深く表現が行われている。「もしも鬱病や人生について悩んでいるのならばモニカとお話をしろ」とも言われているように、むしろ鬱病に効く薬にもなり得る。

 

このような展開に感動し、魅力を感じるようになり、こういう作品がやりたいとも作りたいとも思うようになった。このタイプのゲームはいわゆる「メタフィクション」というジャンルに類する。ゲーム内のキャラクターがプレイヤーを認識している、あるいは選択肢がプレイヤーに向けられている、PCゲームの中では、自身のディレクトリのファイルをいじる、あるいは調べることでゲームを進行させるものがこれにあたる。

 

「このようなゲームをやりたい!」と思った時に一つ問題が生まれる。メタフィクションがテーマのゲームは、ゲームの根幹、あるいは大オチとしてそういった表現を用いるため、ほとんどの場合、そのゲームがメタフィクションであることを知るとネタバレになりうる。そのためか、一応steamなどではネタバレを含むとして、「メタフィクション」のジャンルタグは存在しない。

 

ではメタフィクションゲームはどうやって探せばいいのか。正解の一つとしては、「してはいけない。」だ。事実、「Oneshot」や「ICEY」など公式のゲーム説明の時点でメタフィクションであることを明記しているものもあるが、それ以外の場合はネタバレサイトやレビューなどでない限りメタフィクションだとは分からない。「メタフィクション ゲーム」などと検索してしまえば、魅力的なゲームのネタバレを一挙に食らうことになってしまうのだ。前述したとおり、DDLCについても自分は、「薄々分かってはいた」というスタンスでやっていたため「完全初見」の感動にはどうやっても勝てないであろう。

 

昨今は何でもネット検索で調べられるため、何の下調べも無しにゲームを購入、あるいはプレイすることは少ない。少なからずゲームの概要すら知らずにゲームをプレイすることはほぼ無いと言ってもいい。ネット検索の最もな弊害として挙げられるのが、デマ、次いでネタバレである。デマであればまあいいが、ネタバレは特に辛い。ネタバレに関しても様々なスタンスを持つ人間がいて「映画を見る前にパンフレットを買って読む人間」も居れば、「やりたいゲームの発売前後一週間はネタバレ防止のためにネットを断つ人間」も居る。逆に言えば、製作者側から配慮するような事もあり、Toby fox氏の「Undertale」に続く新作の「deltarune」では「発表から一週間はネタバレしないように」と注意書きがされていた。話題作でもあったため、実に行き届いた配慮だとも言える。

 

ネタバレについてもう一つ言っておきたいのが、プレイ動画、いわゆる実況動画についてである。対戦格闘や単純なパズルやカードゲーム、FPS音ゲーリズムゲームなどであれば参考にする、あるいは娯楽として視聴するのは理解できるが、いわゆるストーリーがあったり展開が用意されているようなゲームなどの実況動画を未プレイの段階で、あるいはそのゲームのプレイ途中で視聴することは自分には理解できない。自分の共感性が足りないと言われればそれまでだが、実況動画などの、プレイ動画はゲームの作品そのものを楽しむのではなく、あくまで投稿者のプレイを中心として楽しむものである。自分より上手い、下手、あるいは慎重だったり大胆だったり、ストーリーの選択肢の違いなどを、その投稿者が初見プレイであればその反応とともに楽しむ。自分としてはそういうものだと思っている。実況プレイ動画に非があると言いたいわけではない。実況プレイ動画を見るだけでそのゲームに満足してしまう、果てはそのゲームをまるでプレイしたかのように発言をし出すような人間も少なからず居ることに驚きを隠せないのだ。

 

ゲーム、特にメタフィクションをプレイしていて実感出来るのは、ゲームは娯楽でなく、体験であるということだ。初見のゲームならば初体験である。初夜だ。もし取り返しのつかない事態になってしまったら?もしBADENDになってしまったら?最悪の事態を想定しながら自分にとって、ゲームの中で出来るだけの最良の選択をし、楽しみ、気持ち良くなる。そしてどのようなEDであれ受け入れ、受け止めて感傷に浸るのだ。であれば、ゲームをプレイせずに、実況動画を見るだけで満足する行為はなんであろう。オナニーだ。見て満足、つまりオナニーでしかない。それを体験する機会があるにも関わらず、体験せずにただ見るだけで満足している。なんて哀れなのだろうか。環境がなくプレイできない場合であったとしても、その先ずっとゲーム自体が手に入れられないわけではない。いつかの初体験のために、そのゲームの中身に一切触れずに過ごすべきなのである。何も知らないゲームに関して我々はウブな子供なのだ。タイトルと概要を知ってようやく少年少女になれる。そしてその少年少女の心のままゲームをプレイするのがもっともゲームを楽しめるのだ。大人になってから、つまりそのゲームをよく知ってからでは単純作業になってしまうのだ。自分でプレイ出来る楽しみというものもあるだろうが、事実それまでである。少年少女のままプレイする利点は純粋にゲームを楽しめるだけでなく、知識を吸収していくことや、ライブ感楽しめることである。

 

自分にとって物凄く面白いゲームに出会ったとして、その本質の面白さを他人に伝えるのは、言葉だけでは食べ物の味が伝わらないのと同じく、体験版などで実際にプレイさせない限りは不可能と言っても差し支えない。その作品が(自分にとって)無名であればあるほど、購入を躊躇するだろう。steam等であれば返金対応できるものの、コンシューマの自分が全く知らない定価のゲームを衝動買いするようなケースは少ない、ほぼ無いと言ってもいい。購入する側が聞いておきたいのは純粋にゲームプレイとして面白かったか、つまらなかったかである。これが「どこが」おもしろかった、「どこが」つまらなかったという話になってしまうとネタバレに繋がってしまうからだ。何もゲームを買うときに賭けをしろというわけではなく、ゲームをプレイする前に知る情報の配分を考慮すべきであるということだ。上記のコンシューマの完全未プレイのシリーズであるのならば、旧作のプレイ動画等を少し見るのがいいだろうし、同監督の新シリーズなどであれば、今までの作風を知っておくべきだろう。

 

長々と話をしてしまったが、メタフィクションのゲームは探すのではなく、出会わなければならないメタフィクションと知っていてプレイするメタフィクションはもはやメタフィクションでなくなるからだ。メタフィクションであることを事前に知る行為はゲームとしての完成形を壊すことになってしまう。そんなことがないように、我々はメタフィクション作品を探してはいけない。誰かが面白いと言っていた作品をプレイしたらメタフィクションだった、それだけで十分なのである。だからこそ、「ただ面白かった」と発信してほしいのだ。



 

 

探すのならば、今までとは別の視点、方向、大きさから探してほしい。そして出来ることなら、なるべく多くのメタフィクション作品と出会ってプレイしてほしいんだ。そしてみんなを助けてほしい。

 

こんな記事を見たところで、誰の心にも届いたり、響くことはないかもしれない。とはいえ、ゲームを探すことから少しでも離れてもらって、出会うことに専念してもらいたい。探し出すのではなく、自分に合ったゲームと出会う。無茶苦茶なことを言っている様に聞こえるかもしれない。事実これは一人の意見でしかない。とは言っても、嘘や冗談でこれを書いているわけではないし、書くわけがない。人間の書いた言葉を受け入れて、信じられるのもまた人間であると、俺は信じている。